この辺りは、江戸時代の元禄16年(1703)の地震で隆起してできた土地です。弁天様は漁業神・水の神として親しまれていました。境内にある文政7年(1824)の手水石は江戸問屋中が願主として奉納したもので、おそらく那古の漁師や運送業者と取引していた魚問屋であったと思われます。社前に力石が2個奉納されており、社殿内には宇賀弁財天が祀られています。通りに面して寛政9年(1797)に念仏講で造立した地蔵像と、天保6年(1835)に浜町と寺町の大師講中で建立した南無大師遍照金剛の名号塔があります。
この辺りは、江戸時代の元禄16年(1703)の地震で隆起してできた土地です。弁天様は漁業神・水の神として親しまれていました。境内にある文政7年(1824)の手水石は江戸問屋中が願主として奉納したもので、おそらく那古の漁師や運送業者と取引していた魚問屋であったと思われます。社前に力石が2個奉納されており、社殿内には宇賀弁財天が祀られています。通りに面して寛政9年(1797)に念仏講で造立した地蔵像と、天保6年(1835)に浜町と寺町の大師講中で建立した南無大師遍照金剛の名号塔があります。