湊の鎮守。天正18年(1890年)には子易大明神として記録されています。修験の徳蔵院が代々別当として神社の管理をしていました。子安の名から安産の信仰があり、底の抜けた袋が奉納されており、境内には「青面金剛」の文字を刻んだ… 続きを読む 子安神社(こやすじんじゃ)
投稿者: 南房総 花海街道
湊薬師堂(みなとやくしどう)
寛永21年(1644年)に薬師堂へ奉納された鰐口があり、これは山下郡湊村と書かれた江戸初期のものであることがわかります。参道入口には順礼講中間で寄進した地蔵像が祀られています。墓地には正徳元(1711)年の北条藩万石騒動… 続きを読む 湊薬師堂(みなとやくしどう)
阿弥陀堂(あみだどう)
現在は八幡地区の墓地のお堂になっているが、明治になるまでは八幡神の本来の姿である阿弥陀如来を祀る本地堂であり、鶴谷八幡宮の付属施設として社殿の隣にありました。仏が人々を救うために神の姿を借りて現れるという本地垂迹説では、… 続きを読む 阿弥陀堂(あみだどう)
千灯院
真言宗の寺院で、江戸時代には八幡宮の領地から6石の配当を受け、社僧が住して仏事で八幡宮に奉仕した寺。八幡宮の別当を務めた那古寺の配下でもありました。境内には廻国修行者の鈴木七兵衛が建てた寛政5年(1793年)の廻国供養塔… 続きを読む 千灯院
白岩弁財天
この弁天の池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石のことだと思われます。徳川家光の頃に津波があり、その時小川をさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたと言われています。また昔はこの池の水が目薬などに使われた… 続きを読む 白岩弁財天
薬王院
申塔などがある。墓地の中には、那古の富士講先達で誠行重山こと秩父屋与兵衛が、明治17年(1884)に48回目の富士登山を達成した記念碑があります。また、天保水滸伝で有名な銚子の五郎蔵は那古の出身で、その兄で同じく任侠にな… 続きを読む 薬王院
神明神社
辻地区の神社です。手水石は弘化2年(1845)氏子の奉納によるもので、力石もあります。境内地からは奈良・平安時代の土師器片などが出土しています。
八雲神社(やぐもじんじゃ)
正木の浜集落である川崎の鎮守です。拝殿の正面には明治19年(1886)の鳥居形銭額が奉納されています。境内の狛犬は江戸京橋の石工・藤兵衛の弟子・包吉のによる弘化4年(1847)の作。石灯籠は文政8年(1825)。社殿の中… 続きを読む 八雲神社(やぐもじんじゃ)
川崎安房堂
正木の川崎地区の堂。嘉永7年(1854)の百八十八ケ所供養碑があります。四国霊場・坂東・秩父の名観音霊場を巡礼した記念の塔です。そのほか出羽三山碑や明治31年(1989)の線刻六地蔵碑、寺子屋の師匠だった徳誉教善の筆子塚… 続きを読む 川崎安房堂
金比羅神社(こんぴらじんじゃ)【大芝】
那古の浜集落である大芝の漁業従事者が四国の金比羅様を祀ったものと考えられています。金比羅様は海難救済と豊漁の神として漁業者の信仰する神様です。昭和40年頃までにはこの場所は塚のようになっていて、ウオミヅカ(魚見塚)と呼ば… 続きを読む 金比羅神社(こんぴらじんじゃ)【大芝】