臨済宗建長寺派に属する瑞雲山天寧寺の境内には樹齢730年あまりといわれる柏槙(県指定天然記念物)があります。幹の太さは約3.90メートルあります。
投稿者: 南房総 花海街道
妙本寺(みょうほんじ)
山間に見える妙本寺は、南北朝時代の創建で、日蓮聖人の孫弟子日郷聖人が開いた日蓮宗の寺院です。戦国時代には、房総の戦国大名里見氏の保護を受け、対岸の相模の北条水陣が襲ってくるのを見張る砦が築かれました。海に面した高台には合… 続きを読む 妙本寺(みょうほんじ)
琴平神社(ことひらじんじゃ)
境内にある手水石は、1806(文化3)年に館山仲町と大神宮村の人が奉納。灯篭は、館山海軍航空隊の建設工事を施工していた東京湾埋立会社(現:東亜建設工業)の船員と工員が、1930(昭和5)年1月に奉納したものです。『安房志… 続きを読む 琴平神社(ことひらじんじゃ)
稲荷神社(北条鶴ケ谷)
長尾藩の陣屋が鶴ヶ谷につくられた際、旧領地の駿河国田中(静岡県藤枝市)の城内から移されてきました。稲荷は藩主本多氏の鎮守で、廃藩後も旧藩士が葵恩会を結成して神社を維持してきました。境内には大砲の碑や、明治3年に横須賀の大… 続きを読む 稲荷神社(北条鶴ケ谷)
子安神社(こやすじんじゃ)
湊の鎮守。天正18年(1890年)には子易大明神として記録されています。修験の徳蔵院が代々別当として神社の管理をしていました。子安の名から安産の信仰があり、底の抜けた袋が奉納されており、境内には「青面金剛」の文字を刻んだ… 続きを読む 子安神社(こやすじんじゃ)
湊薬師堂(みなとやくしどう)
寛永21年(1644年)に薬師堂へ奉納された鰐口があり、これは山下郡湊村と書かれた江戸初期のものであることがわかります。参道入口には順礼講中間で寄進した地蔵像が祀られています。墓地には正徳元(1711)年の北条藩万石騒動… 続きを読む 湊薬師堂(みなとやくしどう)
阿弥陀堂(あみだどう)
現在は八幡地区の墓地のお堂になっているが、明治になるまでは八幡神の本来の姿である阿弥陀如来を祀る本地堂であり、鶴谷八幡宮の付属施設として社殿の隣にありました。仏が人々を救うために神の姿を借りて現れるという本地垂迹説では、… 続きを読む 阿弥陀堂(あみだどう)
千灯院
真言宗の寺院で、江戸時代には八幡宮の領地から6石の配当を受け、社僧が住して仏事で八幡宮に奉仕した寺。八幡宮の別当を務めた那古寺の配下でもありました。境内には廻国修行者の鈴木七兵衛が建てた寛政5年(1793年)の廻国供養塔… 続きを読む 千灯院
白岩弁財天
この弁天の池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石のことだと思われます。徳川家光の頃に津波があり、その時小川をさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたと言われています。また昔はこの池の水が目薬などに使われた… 続きを読む 白岩弁財天
薬王院
申塔などがある。墓地の中には、那古の富士講先達で誠行重山こと秩父屋与兵衛が、明治17年(1884)に48回目の富士登山を達成した記念碑があります。また、天保水滸伝で有名な銚子の五郎蔵は那古の出身で、その兄で同じく任侠にな… 続きを読む 薬王院