厳島神社の湯立神事

館山市西川名にある厳島神社では、1月の第2月曜日に地元では「シオマツリ」と呼ぶ湯立神事をおこなっています。湯立とは、古来よりおこなわれていた神事で、神社の拝殿前の庭先で大釜に熱湯を湧かして、笹(竹の葉)をもって我が身や参… 続きを読む 厳島神社の湯立神事

みささぎ島

紀元111年景行天皇より東国平定の命を受け、子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が相模の国から上総の国へ船で渡るとき、海が突然荒れ、船が沈没寸前になりました。妃の弟橘姫(オトタチバナヒメ)は「海神の心をお鎮(しず)… 続きを読む みささぎ島

浮島

浮島は、勝山漁港の目の前にある周囲約780mの無人島です。浮島には次のような伝説が存在します。東国平定を成し遂げた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の死後、父の景行天皇は皇子と同じ旅路をたどり、弟橘姫の供養も兼ね、浮島に着… 続きを読む 浮島

醍醐新兵衛

醍醐家は、関東(房総)捕鯨の祖と云われ、初代定明の時に勝山組と岩井袋組の船団を組織化し、江戸湾でツチクジラを捕獲した。定明以来代々醍醐 新兵衛を称し、捕鯨業の総網元・大名主として村を指導した。近代になると製油産業や缶詰工… 続きを読む 醍醐新兵衛

夏目漱石

明治の文豪、夏目漱石は、学生時代の夏休み、明治22年(1889)に保田に海水浴にやって来ました。友達5人と、昼は海水浴や鋸山散策、夜は酒盛りに囲碁、カルタと楽しく過ごしました。その時の紀行文「木屑録」によると、日増しにま… 続きを読む 夏目漱石

源頼朝

源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真名鶴岬(現真鶴岬)から小船で脱出し安房の国房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、鋸南町竜島に… 続きを読む 源頼朝

館山観音堂旧址跡

かつて安房三十四観音第三十一番札所の観音堂がありましたが、1964(昭和39)年に仲町の長福寺に遷座され、今は碑と墓地だけが残っています。敷地入口には、沼出身の江戸時代絵師・勝山調が1814(文化11)年に描いた句碑があ… 続きを読む 館山観音堂旧址跡

やぐら(北下台)

岩壁を掘って作られた武士の墓。内部の壁面には五輪塔が浮き彫りにされ、納骨のための溝も見られる。

正木燈

正木貞蔵は海運業の発展に尽力し、晩年は北下台に暮らしました。水産業に貢献した長男・正木清一郎(船形町長)は、航海事業に生涯を賭けた父を思い、1917(大正6)年、隠宅の地に航路標識灯と公園内の照明を兼ねて燈台を建てました… 続きを読む 正木燈

坂東丸殉難碑

1906(明治39)年に那古から新井浦に移転した千葉水産試験場では、翌々年に西洋型帆船・坂東丸(19t)を建造しましたが、1910(明治43)年12月17日、銚子沖で暴風雨に遭い、11名が殉難しました。水産試験場は、19… 続きを読む 坂東丸殉難碑