庚申塔群

享保13年(1728)・文政4年(1821)など江戸時代の庚申塔が7基あります。青面金剛像がパターン化しているのも興味深いものがあります。 Tateyama Field Museum(船形西部map) Tateyama … 続きを読む 庚申塔群

民内翁碑

船形小学校の東側を流れる川は宇田川と呼ばれています。傾斜している船形の水田の水が最も集まってくる場所で、昔は大水でよく荒れたと言われています。幕末に民内作右衛門が宇田川の改修や農業改良に努めて、、明治元年(1868)に長… 続きを読む 民内翁碑

正木清一郎胸像

船形町長を勤め、千葉県の沿岸水産業の発展に尽くした人物で、水産翁と呼ばれていました。昭和9年に享年80歳でなくなっています。胸像は昭和5年(1930)に建てられましたが、戦時供出され、昭和59年に再建されました。 Tat… 続きを読む 正木清一郎胸像

安政築堤

江戸時代末の安政2年(1855)につくられた堤防です。一度台風で崩れて明治6年(1873)に再建したと言われています。大正12年(1923)の地震で現在の場所まで上がってしまいました。この堤防の東側が現在の港で一番古い場… 続きを読む 安政築堤

旧丸山公園

海に突き出た岬のような岩場で、伊豆半島や大島・鏡ケ浦を一望できます。大正時代には公園になっていて、松が30本ほどあったとされています。昭和27年の遭難者を供養する六地蔵や、魚の神様の海神宮などがあります。 Tateyam… 続きを読む 旧丸山公園

山口路米句碑

路米(ろべい)は房州の俳諧宗匠(そうしょう)として知られた雨葎庵(うりつあん)四世で、本名は山口茂兵衛といい、小原村名主でもありました。明治34(1901)年の句碑は70歳の古希記念のもので、「出てみれは 出てよき日なり… 続きを読む 山口路米句碑

稲原貝塚

稲原の山の頂上近くに稲原貝塚があります。発掘調査の結果、今から約8000年前の縄文時代早期の遺跡だということがわかりました。この時期の遺跡は館山平野を50m以上の高台に限って発見されています。 そのころは、このような見通… 続きを読む 稲原貝塚

菅ノ入横穴墓群

ふたつに分かれた丘陵先端部にあり、西側の丘陵先端に28基、東側の丘陵先端に6基あります。古墳時代の横穴墓で、西側には「人王六十五代天王■代天神七代」の文字が刻まれている横穴や、複室形式につくった特殊な形のものがあります。… 続きを読む 菅ノ入横穴墓群

等覚院跡

那古寺への古い参道に沿ってあった修験(しゅげん)寺院の跡。現在は安永4(1775)年に川名の行者秀善が四国八十八か所を巡礼した供養塔や、3基の庚申塔<石宮形・文化6(1809)年の青面(しょうめん)金剛の文字塔・文政11… 続きを読む 等覚院跡

里程標

明治26(1893)年の里程標(りていひょう)。東京や千葉県庁・佐倉、近隣町村などとの距離を表示しています。当時の町村ごとに建てられたもので、これは船形町の里程標。船形と那古を結ぶ道と木の根道との交点に建てられたものです… 続きを読む 里程標