水をたたえた洞窟に祀られている弁天様で、那古小裏の白岩弁天の池とつながる洞窟といわれています。傍らの碑は、日露戦役で中国の松樹山(しょうじゅさん)攻撃で戦死した歩兵山根長吉の忠魂碑です。明治40(1907)年の建立で、題字は北条にいた伯爵万里小路(までのこうじ)通房(みちふさ)の筆、文章は安房中教師で『安房志』の著者斎藤顕忠(東湾)の作です。
水をたたえた洞窟に祀られている弁天様で、那古小裏の白岩弁天の池とつながる洞窟といわれています。傍らの碑は、日露戦役で中国の松樹山(しょうじゅさん)攻撃で戦死した歩兵山根長吉の忠魂碑です。明治40(1907)年の建立で、題字は北条にいた伯爵万里小路(までのこうじ)通房(みちふさ)の筆、文章は安房中教師で『安房志』の著者斎藤顕忠(東湾)の作です。