国分寺山門入口には、正徳元(1711)年に万石騒動と呼ばれる農民一揆で処刑された名主3名の供養塔があります。元禄16(1703)年、北条など27か村の領地を支配する屋代藩は、元禄大地震によって大きな被害を受けたので、家老川井藤左衛門らによって、用水路や農地を整備するとともに、逼迫する藩財政を立て直そうと年貢の増収も図りました。そこで農民たちには無償労役をさせ、一方では年貢を倍増するなど大きな負担を強いたのです。このため農民たちは江戸の屋代家への門訴や老中への駕篭訴を強行したものの、川井らも湊村角左衛門や国分村長次郎、薗村五左衛門の3名を見せしめに処刑しました。結局、農民側の訴えを幕府は認めて勝訴になりました。3名が処刑された場所には現在、三義民刑場跡の石碑がありますが、今も地元では犠牲者を弔って年忌法要が続けられています。昭和49(1974)年には館山市の指定史跡になりました。