館山市大神宮の千祥寺には義民七人様の供養碑があります。大神宮村でおこった農民一揆の犠牲者7名を大神宮義民七人様と呼んでいます。大神宮村の領主旗本河野三左衛門は、寛文12(1672)年に年貢を引き上げたばかりか、村人の山支配を禁じて木材を独占し、大凶作のときも厳しく年貢の取り立てました。そのため農民たち15人は、江戸の河野家に直接押しかけ、年貢減免などを要求する門訴をしたが、結局は訴えた農民全員を所払いのうえ家財没収にされました。そこで天和2年(1682)に、今度は直接幕府に領主の悪政を訴えたものの、一人の農民が偽証し河野側に有利な判決となり、かえって名主小柴三郎左衛門ら7人は処刑され、家族たちの家財はとられ追放となったと言われています。村人たちは領主の圧制のなかで供養碑を建立し、犠牲者たちを七人様として祀ってきました。昭和49(1974)年には館山市の指定文化財になっています。