頂上の金刀比羅神社の周辺には、古墳時代の遺跡や室町時代のヤグラが掘り込まれた岩の露頭があり、人々の長い歴史を伝えています。それだけでなく、江戸時代には一軒の民家もなかったところへ明治以降は別荘や石碑が立ち並び、文化に目覚め始めた大正という時代の雰囲気も感じさせてくれる場所です。
海に面したその山頂の一角に、「正木橙」と刻まれた白い花崗岩の柱が建っています。その文字は明治から大正時代にかけての一流の書家であった小野鵞堂の筆になるものです。
裏には文章が刻まれています。そこには船形の正木清一郎が、大正五年に没した父貞蔵の死を悼んで記念に照明塔を建てたことが記されています。この石はその照明塔の基台の部分が残されたものなのです。かつてはこの石に木の柱が立ちアーク灯が灯っていました。
「正木灯」と呼ばれるこの照明は館山公園の照明であるとともに、鏡ケ浦を航行する船の航路標識ともなるものでした。