城山公園の南麓にあり、丘陵斜面の横穴が埋没して奇妙な形をしていたため、「姥神様(うばがみさま)」とよばれて祀られ、かつて多数の人々がお参りしていたそうです。伯耆国倉吉において、里見氏十代目にして最後の当主となった忠義の死に際して倉吉随従の家臣たち数名が殉死しました。後日、これを伝え聞いた安房の里見の旧臣が漁師姿に身をやつして伯耆に出向き、蛸壺に分骨して持ち帰り、ここに埋めたのだといわれています。また、江戸時代の文豪、曲亭馬琴が書いた「南総里見八犬伝」の「八犬士」のモデルにされたともいわれています。