1904(明治37)年の夏、東京美術学校を卒業した青木は、画友の森田恒友、坂本繁次郎、そして恋人の福田たねと制作旅行にこの地にやって来ました。
布良(めら)を訪れた青木は、漁家・小谷家に約2か月近く滞在し、布良の海を題材に、数多くの海の景色を描きました。その中で最も力を注いだのが、裸の漁夫数人が大きなフカ(サメ)を背にして夕日を浴びて戻ってくる、有名な油彩画「海の幸」でした。
「海の幸」はその年の秋、白馬会展に出品され、日本に初めて、日本人の油絵が生まれたと評されたといいます。布良の豊かな自然の中で描かれた「海の幸」は、青木繁の名を日本美術史上不動のものにしました。
1962(昭和37)年、福田たねと青木繁の遺子幸彦(福田蘭童)の手により、この記念碑の除幕式が行われました。