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昭和16年、広い砂丘をもつ平砂浦を一望する佐野に、主に陸戦隊の幹部要員を養成する目的で、館山海軍砲術学校が開校しました。既に館山市一体は要塞化していた頃で、平砂浦も演習用地として使用され、砂防のため植栽した松林も伐採されてしまいました。正門から入って正面に館砲神社があったそうです。初代校長は戦後グアムで法務死した阿部孝壮司令官です。大戦中は海軍航空隊の基地も置かれていたため、館山は軍港都市として発展しました。
終戦後は施設を利用して房南中学校が開校されました。現在、館山駅東口のロータリーに植えられているヤシの木は、市民が砲術学校に寄贈し、ロータリーができた時にそこから移植されたものです。
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