車地蔵

藤ノ木の交差点にある延命地蔵で、那古と川崎の人々によって宝暦4年(1754)に建立されました。水向の正面に「右清澄へ九里、左大山へ四里」とあり、道標になっているが、バイパス工事によって位置が南へ10mほど移動しています。… 続きを読む 車地蔵

念仏供養塔

寛文5年(1665)に念仏講で建立した石の阿弥陀像があります。石灯籠は天保11年(1840)のもの。右手前には室町時代の宝篋印塔の基礎石が残っています。 Tateyama Field Museum(那古・川崎map) T… 続きを読む 念仏供養塔

那古町道路元標

釜谷の前の交差点の路端に、大正のころのものと思われる那古町の道路元票(みかげ石)があります。市内では船形町・富崎村・西岬村でも同じ時のものがあります。道路の路線の起点・終点を示すもので、各市町村に1個ずつ置かれたものです… 続きを読む 那古町道路元標

庚申塔群

享保13年(1728)・文政4年(1821)など江戸時代の庚申塔が7基あります。青面金剛像がパターン化しているのも興味深いものがあります。 Tateyama Field Museum(船形西部map) Tateyama … 続きを読む 庚申塔群

民内翁碑

船形小学校の東側を流れる川は宇田川と呼ばれています。傾斜している船形の水田の水が最も集まってくる場所で、昔は大水でよく荒れたと言われています。幕末に民内作右衛門が宇田川の改修や農業改良に努めて、、明治元年(1868)に長… 続きを読む 民内翁碑

正木清一郎胸像

船形町長を勤め、千葉県の沿岸水産業の発展に尽くした人物で、水産翁と呼ばれていました。昭和9年に享年80歳でなくなっています。胸像は昭和5年(1930)に建てられましたが、戦時供出され、昭和59年に再建されました。 Tat… 続きを読む 正木清一郎胸像

安政築堤

江戸時代末の安政2年(1855)につくられた堤防です。一度台風で崩れて明治6年(1873)に再建したと言われています。大正12年(1923)の地震で現在の場所まで上がってしまいました。この堤防の東側が現在の港で一番古い場… 続きを読む 安政築堤

旧丸山公園

海に突き出た岬のような岩場で、伊豆半島や大島・鏡ケ浦を一望できます。大正時代には公園になっていて、松が30本ほどあったとされています。昭和27年の遭難者を供養する六地蔵や、魚の神様の海神宮などがあります。 Tateyam… 続きを読む 旧丸山公園

山口路米句碑

路米(ろべい)は房州の俳諧宗匠(そうしょう)として知られた雨葎庵(うりつあん)四世で、本名は山口茂兵衛といい、小原村名主でもありました。明治34(1901)年の句碑は70歳の古希記念のもので、「出てみれは 出てよき日なり… 続きを読む 山口路米句碑

稲原貝塚

稲原の山の頂上近くに稲原貝塚があります。発掘調査の結果、今から約8000年前の縄文時代早期の遺跡だということがわかりました。この時期の遺跡は館山平野を50m以上の高台に限って発見されています。 そのころは、このような見通… 続きを読む 稲原貝塚