なぜ館山には一子相伝の伝統織物があるの?

唐桟織 手仕事の美

「唐桟織(とうざんおり)」をご存知でしょうか?
桃山時代にインドからもたらされた綿織物で、
粋な縞模様や色調は、江戸の人々に随分もてはやされたといいます。
現在も館山でひっそりと息づく伝統の技。
県の無形文化財に指定されている織物の歴史と現状を調べてみました。

(2012/08掲載:K)

唐桟織日本へ、江戸時代に大ブレイク!

着物(齊藤裕司作)

唐桟織とは、細い木綿糸を植物を煎じた液で染め、独特の細かい縞を織り出した布のこと。もともとはインドが原産で、16世紀末の安土桃山時代にオランダ船によってもたらされたといわれています。細かい縦縞や鮮やかな色調が、粋を好む江戸の人たちに受け入れられ、江戸時代半ばから後半にかけて大いにもてはやされたそうです。とはいえ、鎖国によって外国との交易もままならない時代のこと。各地で栽培が盛んになっていた木綿糸を使った木綿織が、唐桟の代用品として発展します。特に倹約を徹底させた天保の改革で絹織物の着用が禁止されてからというもの、この国産の唐桟織は絹に代わる粋な着物として人気がさらに高まったそうです。

齊藤裕司さん

唐桟織の名前の由来については諸説あるようですが、インドのサントメ地方が原産のため、江戸時代には「サントメ縞」と呼ばれていました。それに、舶来物を意味する「唐」の字がついて「唐サントメ」になり、それが濁って「とうざんおり」になったようです。
当時の唐桟織といえば、埼玉県の川越が有名で「川越唐桟」あるいは「川唐」などとよばれていました。ほかにも博多、西陣、堺など各地で織られており、川越などでは現在も唐桟織が織られています。ところが、昔ながらの伝統的な手法で織られているのは館山だけ。では伝統的な手法とはどういったものなのでしょうか? 現在館山で唯一唐桟織を織っている齊藤裕司さんを訪ねてみました。

館山に伝わる一子相伝の技術

初代茂助氏

館山に唐桟織が伝わったのは明治の初めごろ。裕司さんの曽祖父にあたる齊藤茂助氏が館山に移り住んだのが始まりでした。
茂助氏は現在の千葉県白井市に生まれ、江戸時代は武士でした。幕末の英雄のひとり、勝海舟にも随分かわいがられたといいます。ところが明治維新によって他の武士同様失業状態に。当時、茂助氏のような職にあぶれた武士は無数におり、彼らを救済するために職業斡旋所「東京授産所」が設置されていました。茂助氏は東京蔵前にあったこの授産所で、川越唐桟の職人から唐桟織の技術を習得することになります。そして明治10年、茂助氏は唐桟織の工房を開業します。その後、病を療養するために、妻の実家があった温暖な館山へと移住し工房を移しました。時は明治23年、これが館山における唐桟織の始まりです。

五十鈴

茂助氏が伝えた技術は、2代目の齊藤豊吉氏へと受け継がれました。そんな折、日本の日用品の機能美に注目した「民藝運動」で知られる柳宗悦(やなぎむねよし)らが館山を訪れます。そこでこの技術が認められたことで、館山の唐桟織は広く世に知られるようになります。また、豊吉氏が織った着物を時の女優、山田五十鈴(やまだいすず)が着て週刊朝日の表紙を飾ったことがあり、その新しい柄は「五十鈴縞」とよばれるようになりました。豊吉氏は昭和29年に千葉県無形文化財に指定されています。
技術は豊吉氏の長男、頴(ひで)氏と光司(こうじ)氏へと受け継がれます。3代目となった兄弟は昭和45年に揃って千葉県の無形文化財に指定されました。また、昭和47年には文化庁から「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に認定され、さらに昭和59年には千葉県の伝統的工芸品にも指定されました。

そして現在、この技術を受け継いでいるのが4代目の裕司さんです。父の光司氏同様、柳悦孝氏のもとで修行し、平成7年には日本民藝館展奨励賞を受賞。平成21年には千葉県の無形文化財に指定されました。
こうした一子相伝の教えは、「民藝運動」の柳宗悦氏の助言によるもので、それが今日もずっと守られているのです。

味覚が決め手! 唐桟織の工程とは

館山の唐桟織の歴史がわかったところで、工程を見てみましょう。ざっと次のようになります。

1 精錬
染めやすくするため、木綿糸を沸騰したお湯で20分ほど煮て油分や汚れを落とす。

糸を染める

2 糸を染める
植物染料で糸を染める。

3 糸を干す
竹竿に吊るして半日ほど天日干し。

4 糸巻き
乾燥させた糸を小枠に巻く。

5 整経(せいけい)
経糸(たていと)の本数を合わせて幅や長さを調整。

6 綜絖通し(そうこうどおし)
経糸を縞柄のとおり綜絖(経糸を上下に動かす装置)に通す。

7 筬通し(おさどおし)
経糸を筬(おさ 経糸がもつれないように整える役割)に通す。

機織

8 機織
高機(たかばた)とよばれる機に糸をかけ、織っていく。

9 湯通し/干し
織り上がった反物を、のりを落とすためにぬるま湯に通し、干す。

10 砧打ち(きぬたうち)
折り畳んだ反物を平な石の上におき樫の木の木槌で打ち込む。これによって折り目が締まり生地につやが出る。最後にぬるま湯に通して余分なつやをとって反物が完成。

このように数々の工程を経て反物は完成します。すべての作業が昔ながらの手作業であり、伝統的な手法といえますが、一番注目すべきは糸を染める工程です。染料は藍や山桃の皮など、植物の皮や実などを煎じたもの。これらを仕上がりの色をイメージしながら調合するわけですが、この際秤などは一切使わず、染料を少し口に含み味覚で濃度を判断します。

山桃の皮

渋みが強いほど色は濃く、渋みが少ないと薄い色になります。味覚が大切なので普段からタバコは厳禁。染めの10日前ぐらいからは酒も刺激物も一切控える必要があるそうです。

唐桟織の現在とその展望

こうして手間暇かけて作られる完全手づくりの唐桟織。縞は代々伝わるものから新たに作られたものまで約130種ほどあります。

胡麻
赤無し鰹
浅葱地西川
文化
目光
着尺反物(齊藤裕司作)

唐桟織は、現在反物でしか入手できない状態で、呉服店などで着物を仕立てる際に購入できる場合もありますし、工房に直接出向いて発注することもできます。ただし、工房から直接買う場合は2~3年待つことになるといい、現在著名な歌舞伎役者さんから受注している手の込んだ柄は、4年ほど待っていただいている状況だそう。以前は札入れや巾着などの小物も販売していましたが、付き合いのあった仕立て屋が廃業したことで小物の販売は休止しています。

サンプル帳

一子相伝である以上、次の代がどうなるか気になるところですが、裕司さんの2人の娘さんのうちのいずれかが継ぐことになるようです。裕司さん自身としては、唐桟織は体力を必要とする仕事でもあり、無理に継がせることはしたくないそう。自分の人生は自分で選んでほしいと言いながらも、どちらかに継いでもらいたい気持ちは強くもっているそうです。
また、現在小物販売を復活させるべく、仕立て屋と連絡を取り合っているといいます。近い将来、完成品として店頭に並ぶことになるかもしれません。
館山に根付いた唐桟織の歴史は120年あまり。この伝統の技が絶えることがないよう、見守っていきたいものです。

唐桟織工房はこちら

現在裕司さんが工房を構えるのは館山市の古い商業地域です。2~3年待つ覚悟でも反物を注文したい方はぜひご一報を。

唐桟織 齊藤裕司
館山市長須賀48-2
Tel 0470-23-1509