日本三大うちわという言葉をご存知でしょうか?
四国の丸亀うちわ、京都の京うちわ、そしてもうひとつがここ館山の房州うちわです。
なぜ房州のうちわが日本三大うちわに数えられるほどになったのか。
その背景を探っていきましょう。
(2012/03掲載:K)
江戸時代に始まった関東のうちわ作り
世界的に見るとうちわの起源はかなり古く、古代エジプトの壁画や古代中国の記録などにすでに登場しています。日本のうちわの原型は中国から伝わった翳(さしは)という柄の長い形状のもの。古墳時代に伝わってきたようで、風を起こすというよりは、主に位の高い者が顔を隠して威厳を示すために用いられていたようです。その後もしばらくは、公家や僧侶などの間で使われていましたが、室町時代の終わりごろに竹と紙でできた送風用のうちわが誕生しました。
江戸時代に入ると、うちわは庶民の間にも急速に普及。四国の丸亀、京都・奈良、そして江戸が主な産地として発展しました。江戸でうちわ作りが始まったのは天明年間(1781~1788年)といわれています。江戸うちわは浮世絵の技術を取り入れた「絵うちわ」が特徴で、歌舞伎役者や美人画、風景画などがそのモチーフになっています。
この江戸うちわの材料となる「女竹(めだけ)」の供給地として発展したのが房州です。最初は原料の供給地として、うちわ作りに関わっていくことになります。
江戸から房州へ。産地移動の歴史
江戸に運ばれる女竹の積出港だったのは、現在も漁港として活躍している船形(ふなかた)地区。房州でのうちわ作りが始まったのは明治の始めごろで、まずはうちわの骨部分のみの生産が始まったようです。明治44年発行の『地方資料小鑑』によると、うちわ骨作りは明治10年に那古町に始まり、付近の町村に普及したとあります。また、大正7年発行の『房総町村と人物』では、明治17年に那古の岩城惣五郎が東京から職人を雇い生産を始めたという記述があります。当初は農村の、あるいは漁村のおかみさんの内職として始まったといううちわ骨作り。明治の終わりごろには房総の竹は不足気味になり、伊豆まで竹を採りに行ったといいますから、当時すでに相当な産業に発展していたことが伺い知れます。
明治期はうちわ骨の供給地でしたが、大正に入り日本橋のうちわ問屋が房州での一貫生産を開始。ここで初めてうちわの完成品が房州で作られることになりました。房州のうちわ作りが一大転機を迎えたのは、皮肉にも未曾有の大惨事となった関東大震災でした。大正12年(1923)のこの震災によって、日本橋堀江町河岸にあった江戸うちわの問屋街が大火に見舞われます。焼け出された問屋が復旧の過程で目を着けたのが、竹の産地でもあり完成品の供給地としても実績のあった房州だったのです。多くの問屋が那古や船形周辺に移住しうちわ生産を開始。こうして「江戸うちわ」は「房州うちわ」になり、日本三大うちわに数えられるほどになったのです。
日用品から工芸品へ、房州うちわの華麗なる転身
こうして誕生した房州うちわは、昭和の始めごろには年間7~800万本もの生産量を誇るほどになりました。内職として携わっていた人はじつに1000人以上。うちわ作りは房州の生活に完全に溶けこんでいたといってもいいでしょう。
このように発展した房州うちわですが、次の転機は昭和40年代に訪れます。高度成長による扇風機、ガスコンロなどの普及です。これまで日用品としての確固たる地位を築いていた房州うちわも、その役割は次第にこれら工業製品に取って代わられることになったのです。
しかも、人件費の高騰もあって日用品としてのうちわは、より工程が簡単な平柄うちわに、さらにはポリプロピレン骨のうちわに席巻されてゆくことになります。うちわ工場はこぞって鉄工所へと姿を変え、現在では生産量は年間20~30万本ほどに落ち込んでいます。
そんななか、平成15年(2004)には、千葉県で初めて経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定されました。日用品から工芸品へ。房州うちわは新しい魅力を手に入れることになったのです。
安房が誇る伝統的工芸品、房州うちわをいつまでも
房州うちわで使用される竹は「女竹(めたけ)」の一種で地元では「大名(だいみょう)」と呼ばれています。節と節の間が長く、しかも柔軟性に富んでいるのでうちわ作りにはぴったりの材料なのです。
生産の工程は全部で21。材料の竹を切り出すところから始まり、皮むき、磨き、水つけ、割竹(さきだけ)、もみ、などなど・・・。詳しくは下記房州うちわのホームページに譲りますが、とにかく完成までには細かい作業が延々と続きます。
現在これらの全工程を一人でこなせる房州うちわの職人さんはたった1人だけ。その唯一の職人、宇山さんを訪ねてみました。宇山さんはこの道60数年の大ベテラン。2011年秋には瑞宝単光章を受章されています。
宇山さんがこの道に入ったのは戦後まもなくのこと。その当時、房州うちわ産業は活況を呈しており、工程ごとの分業体制もしっかりできていたそうです。最初は骨に紙を貼る作業を専門的に行う工房で1年ほど過ごしたあと、全行程を一人で行えるよう修行したといいます。はじめのころは材料となる竹を確保できず、伊豆まで車で買い付けに行ったこともあるほどで、近隣の農家のおかみさんでうちわ作りの内職をやっていない人はいなかったそう。当時のうちわ作りはそれほど日常的な作業だったそうです。まだまだ房州うちわが元気だった時代から工房が次第に数を減らしていく様子を目の当たりにしてきた宇山さん。房州うちわとともに歩んできた人生といってもいいでしょう。
21の工程でいちばん難しいのは、強いて挙げるなら割竹(さきだけ)と窓作りとおっしゃいます。特に割竹は1本の竹をカミソリで48~64本に割いていくという緻密な作業。窓作りはうちわの形状に合わせて「弓」とよばれる細い竹を骨に編み付けます。いずれも熟練が必要な作業であり、職人になるには相応の修行期間が必要といいます。また、全行程を順に進めると、一日に4~5枚のうちわを作るので精一杯だそう。この数字だけみても、うちわ作りの大変さが伝わってきます。
現在、房州うちわの工房は、ここ宇山さんの工房も含めてわずか5軒。後継者不足もあり、このままでは近い将来、この房州が誇る伝統工芸が姿を消してしまうことになるかもしれません。房州うちわの伝統が途絶えないよう願う一方で、職業としてのうちわ作りは採算性の面からなかなか厳しいのも事実。特にゼロからこの世界に飛び込むには、相当な覚悟と金銭的な余裕が必要となりそうです。そんな状況を冷静に受け止める宇山さんは、今後房州うちわを存続させるためには、リタイア後の人材を積極的に活用すべきとおっしゃいます。安定的な収入があるうちに週末や余暇の時間を利用して修行を積み、リタイア後に趣味と実益を兼ねてうちわ作りにいそしむ。そういう形が定着すれば、どうにか存続するのではないかということでした。
現在、宇山さんの工房ではうちわ製作体験も受け付けています。工程のほんの一部を体験するだけですが、それでもうちわ作りのおもしろさ、大変さを垣間見ることができる貴重な機会といえるでしょう。こうした体験を通して皆さんの房州うちわへの理解が深まり、それがやがて、この技を後世に伝えるための劇的な転機のきっかけになるのかもしれません。
房州うちわ振興協議会のホームページへ!
コラム「日本三大うちわを比較」
日本三大うちわというと、「京うちわ」と「丸亀うちわ」がありますが大きな特徴は柄の形状にあります。
房州うちわ=丸柄
細い竹の先端を細く割き紙などを貼ったもの。柄は丸く「窓」があります。
丸亀うちわ=平柄
太い竹をうちわの幅に割り、先を割いて穂を作り紙などを貼ったもの。古くからうちわ骨の生産地として発展し、丸柄うちわも作っていましたが、最終的に工程が簡単な平柄うちわが主流になりました。現在では全国のうちわ生産量の約90%ほどが丸亀で生産されています。
写真提供:香川県うちわ協同組合連合会
京うちわ=差し柄
細く割いた竹を並べたものに紙を貼り、それを挟み込むように竹の柄を差したもの。優美な絵柄が多く「みやこうちわ」とも呼ばれています。
写真提供:京都扇子団扇商工協同組合
房州うちわの知識を深める
房州うちわの発祥ともいえる船形地区には、房州うちわの展示スペースがあります。さまざまな図柄の房州うちわのほか、他の産地のうちわ、工程の解説、実際に使われていた道具類などが展示されており、房州うちわの理解をより深めることができます。大きさや材質の異なるうちわを手に取って使い心地を確かめることもできます。購入前に一度訪問してみてはいかがでしょうか?
安房の匠の織りなす風「房州うちわ」技の伝承展
場所: 若潮ホール 館山市船形297-71
電話0470-27-5504
時間: 9:00~12:00 (日曜9:00~17:00)
休館: 第3日曜、祝日
料金: 入場無料
うちわ作り体験
製作工程後半の「貼り」「断裁」「へり付」などを実際に体験することができます。所要時間は約2時間。料金は人数や内容にもよりますが1人1000円~。詳細は下記にお問い合わせください。
問合せ先
館山市経済観光部観光みなと課
千葉県館山市北条1145-1
電話0470-22-3362
南房総市商工観光部商工観光課
千葉県南房総市富浦町青木28番地
電話0470-33-1092
房州うちわ ここで買えます!
房州うちわは下記館山市観光協会窓口のほか、周辺の道の駅や製造元などで販売しています。
館山市観光協会案内窓口
場所: JR館山駅東口1F 館山市観光協会案内窓口
電話0470-22-2000
時間: 9:00~18:00 (年中無休)
道の駅など
コラム「うちわ作りに欠かせない女竹とは?」
竹は日本の文化を語るうえで欠かせない素材ですが、ひと口に「竹」といっても、その種類はじつに豊富です。全世界では1200種以上もあるといわれ、それぞれの特性を生かしてさまざまな形で利用されています。日本で最も多く利用されているのはマダケ属のモウソウチクとマダケ。モウソウチクは節の間隔が短く、しなりも少ないため、構造材などに利用されるほか一般的な筍(たけのこ)の品種としても知られています。マダケは強くて弾力性があるので多くの工芸品に使われおり、また薄くてしなやかな皮は包装材にもよく利用されています。筍はえぐみが強いためあまり食用には向いていません。
女竹はメダケ属で、笹の一種に数えられます。しなやかで加工しやすいため、うちわ骨のほか横笛、傘の柄、筆軸などにも利用されています。房州うちわで使われるのは女竹のなかの「ダイミョウ」という品種。南房総以外では鹿児島で自生しているそうです。
(写真=南房総のダイミョウ)