近年ブームのパワースポット巡り。日本各地に点在するエネルギーに充ち溢れる場所が紹介されています。安房館山のパワースポットといえば「神社」と「お寺」。多くの方が訪れ、仕事・恋愛・健康などを祈願し、また疲れを癒しに詣でます。でも、なぜ館山の神仏をわざわざ目指すのでしょう?-今回は神社に的を絞って、その独特の歴史に触れることでご利益パワーを高めちゃいましょう!
(2011/12掲載:H)
神社の格式、ご存知ですか?
日本全国至る所に神社がありますが、これらの神社に伝統的な格式の区分け(社格)があることをご存知でしょうか。ちょっとお堅い感じがするかもしれませんが、古来から受け継がれてきた神社のパワーレベルのようなものですので、簡単にみてみましょう。
① | 古代の社格:一宮 大宝律令(701年)によって制定。一宮は国(当時の行政区)で一番有力な神社を指し、次いで高い社格がそれぞれ二宮・三宮となる。 |
② | 中世の社格:延喜式神名帳(927年)に記載された神社 朝廷から格別の扱いを受けた神社が記載されている。 |
③ | 近代の社格:明治元年(1868年)公布の官社表 官幣大社が一番の社格であり、国幣大社と分けられている。それぞれ大・中・小の社格がある。(戦後廃止されたが、旧官社などと使われることも多い) |
上に見られる通り、これまで古代・中世・近代に全国の神社に対して、格式を定める御触れが出されました。実は安房神社は、この3つの格式すべてに最上の社格を与えられている数少ない神社の一つなんです。「千葉の南端に構える有名な神社」と漠然と思われがちですが、災害や飢饉の際、朝廷や民の声を神にお伝えする場所として人々から親しまれ最上の位を与えられた場所。実は強~い力をもつパワースポットだったのです。
安房神社の神様にはどんなご利益が?
安房神社には、どんな神様が祀られているのでしょうか。その起源は、神話の時代に遡ります。平安時代にまとめられた『古語拾遺』(こごしゅうい)には、徳島にいる阿波忌部(あわいんべ)氏が、海を渡ってたどり着いたのが安房であったと記されています。この忌部氏とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の側近である天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祖神とする氏族で、神事や占いを司る役割を与えられていた人々でした。つまり、神社で執り行われる祭祀の源流を担っていた神聖な方々だったようですね。忌部氏を率いた天富命(あめのとみのみこと)が、南房総の布良(めら)という海岸に上陸し、すぐに建設にかかったのが祖父である天太玉命を祀る安房神社であったそうです。
もう一つ、この天太玉命は、実は日本産業の創始者だったという言い伝えもあります。忌部氏は、農業、鉄器製造、製糸業、養蚕業、織物業など、さまざまな革新的な技術を開発し、それを惜しみなく諸国に伝えたとされる寛大な氏族です。そのため、安房神社は、「商売繁盛、技術向上、学業向上」のご利益があるとして、太古より慕われてきました。(忌部氏についてのより詳しい情報は、12月2日の記事をご覧ください。)
むむ、館山には一宮が2つ!?
一般的には「一宮」は1つの国に1つというのが原則ですが、館山には安房神社のほかに一宮がもう1つあるんです。そこで、今回はもう1つのパワースポット「洲崎神社」を紹介します。
洲崎神社には、安房神社の祭神である天太玉命の后神「天比理刀咩命」(あまのひりのめのみこと)が祀られているので、安房神社とは夫婦の関係にある神社といえます。そのためからどうかは定かでありませんが、洲崎神社は昔から「結婚・恋愛」や「安産」「家内安全」のご利益があるそうです。
さて、上に書きましたように、一宮は一国に1つとされるのが習いですが、数少ない一宮が館山に2つあるのはなぜでしょうか?
洲崎神社はリベンジの神様!?
2つの一宮が存在することになった経緯は、なんと源頼朝のドラマが関わっています。ご存知、天下統一を果たし鎌倉幕府を開いた源頼朝ですが、実は1180年伊豆で挙兵した際、石橋山の合戦で敗れ海路で安房の地へ避難していたのです。家臣数名に支えられて辛くも逃げ延びた安房の地で、頼朝は「もう一度チャンスを!」と再挙を期して参拝をしました。この時頼朝が向かったのがこの洲崎神社です。その後頼朝は、千葉常胤(ちばつねたね)などの協力を得て平家討伐を成功させ、見事願いを叶えることになるのですが、そのお礼に洲崎神社に「神田」の土地を奉っています。つまり洲崎神社は、頼朝からすれば天下統一の願いを聞き入れてくれた神様となるわけです。
この話は、多くの武士の心に勇気をもたらし、語り継がれてきました。中でも、江戸城を築きあげた太田道灌は洲崎神社を勧請して、城の鎮守(今の神田明神)にしたと『永享記』(室町以後の東国情勢を記した軍記)に記されています。戦国時代、安房の覇者「里見氏」もこの神社を尊崇しました。
後世の武士は、全国統一を果たした頼朝の偉業は決して平易な道のりではなかったこと、洲崎神社で源氏再興を願う頼朝の参詣の内に、ひときわ神懸かったストーリーを感じたのかもしれません。
ともあれ、このような経緯のもと、自然発生的に洲崎神社を「一宮」と呼ぶ風習が広まり、また江戸時代には松平定信が、「安房国一之宮大明神」と自筆した篇額を奉納したこともあり、本来は国に1つとされる一宮が、安房国館山には2つも存在することとなったのです。何かに行き詰ったとき、新しいチャレンジをしたい時、洲崎神社を参拝してみてはいかがでしょうか?きっと力になってくれますよ!
館山のパワースポット神社・仏閣巡りの誘い
館山は安房の中心として、他にも忌部氏にまつわる神社や伝統ゆかりのあるお寺がたくさんあります。これからいよいよ紐解かれることが期待される忌部氏の軌跡を追うのもよいですし、ゆっくりお参りがてら羽を伸ばしていただくのもよいかもしれません。ぜひ一度、館山のパワースポットを訪れてみませんか??
(館山の歴史について詳しく知りたい方は「たてやまフィールドミュージアム」もご覧ください!)
その他のおすすめパワースポット
住所:〒294-0055:千葉県館山市那古1125
電話:0470-27-2444
坂東三十三箇所の観音霊場のうち、最後の札所となるお寺で「願いを結ぶ」と書いて「結願寺」(けちがんじ)と呼ばれています。奈良時代に天皇の病が治癒されたことから建立されたと伝えられ、その歴史は日本寺伝の中でも最も古いお寺の一つです。鏡ヶ浦(館山湾)を一望できる景色は、古くから那古寺が民の海運交通の安全を見守ってきたことを伺わせます。その他国の重要文化財に指定されている銅造千手観音立像など国宝級の文化財が幾つも保管されています。
住所:〒294-0233:千葉県館山市大神宮2161
電話:0470-28-1341
弘法大師(空海)が42才の厄年に安房に至り、衆生救済の祈願にあらゆる災難・禍の身代りとして自らの木像を謹刻し、安置したのがこの小塚大師です。一説によるとこの時弘法大師は木像を2体彫り、もう一体は海に流しましたが、それが漂着したことが川崎大師の始まりと言われてます。川崎大師・西新井大師と並び関東厄除け三大師の一つです。
下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)
住所:〒295-0103 千葉県南房総市白浜町滝口1728
電話:0470-38-4130
神話時代の日本において、神事の祭祀を司った阿波忌部氏の族長、天富命と一緒に安房に上陸した由布津主命が、祖父である天日鷲命を祀った神社です。寺崎武男氏の齋部(忌部)建国史10枚のフレスコ壁画が奉納されています。
住所:〒294-0056:千葉県館山市船形835
電話:0470-27-2247
養老元年(717年)行基が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一観世音菩薩を彫刻したことが始まりで、断崖の途中にはりついたように観音堂が造られていることから通称「崖観音」と呼ばれています。観音堂背後に高さ 1.5mの磨崖十一面観音像があり、館山市の有形文化財に指定となっています。
住所:〒294-0047 千葉県館山市八幡76
電話:0470-22-1258
平安時代初期に創建されたと伝わる安房国の総社。鎌倉時代に現在の位置に遷座され、戦国時代安房の重鎮「里見氏」によって厚い保護を受けたました。毎年9月に行われる祭礼は、安房国の旧社10社の神輿が渡御する郡内最大の祭りで「やわたんまち(八幡祭)」と呼ばれ、例年安房の祭り一番の盛り上がりをみせています。
住所:〒294-0223:千葉県館山市洲宮1571
電話:0470-28-2013
東西文化の融合ともいえるガンダーラ様式の中では世界最大級の大きさと言われる涅槃仏(釈迦の入滅する様子を現した仏像)が拝観できます。靴を脱ぎ、中央で合掌してから台座を時計回りに3周し、おみあしの所で参拝をすれば、大願成就すると言われています。拝観料は500円。
住所:〒 294-0303:千葉県館山市浜田376
電話番号:0470-22-3698(館山市生涯学習課)
昭和31年(1956年)の発掘調査において館山市浜田で発見された縄文時代の遺跡。魚を取るための針や銛(モリ)のほか、動物の骨なども出土しており、魚介類に限らず、山の猟も行っていたことを伺わせる貴重な遺跡です。古墳時代には墓所として、その後は海神を祀る神社として、人々の精神的拠り所としての役割を果たしてきました。
(このページ内で紹介したパワースポットの地図)
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