阿弥陀堂(あみだどう)

現在は八幡地区の墓地のお堂になっているが、明治になるまでは八幡神の本来の姿である阿弥陀如来を祀る本地堂であり、鶴谷八幡宮の付属施設として社殿の隣にありました。仏が人々を救うために神の姿を借りて現れるという本地垂迹説では、… 続きを読む 阿弥陀堂(あみだどう)

千灯院

真言宗の寺院で、江戸時代には八幡宮の領地から6石の配当を受け、社僧が住して仏事で八幡宮に奉仕した寺。八幡宮の別当を務めた那古寺の配下でもありました。境内には廻国修行者の鈴木七兵衛が建てた寛政5年(1793年)の廻国供養塔… 続きを読む 千灯院

白岩弁財天

この弁天の池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石のことだと思われます。徳川家光の頃に津波があり、その時小川をさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたと言われています。また昔はこの池の水が目薬などに使われた… 続きを読む 白岩弁財天

薬王院

申塔などがある。墓地の中には、那古の富士講先達で誠行重山こと秩父屋与兵衛が、明治17年(1884)に48回目の富士登山を達成した記念碑があります。また、天保水滸伝で有名な銚子の五郎蔵は那古の出身で、その兄で同じく任侠にな… 続きを読む 薬王院

神明神社

辻地区の神社です。手水石は弘化2年(1845)氏子の奉納によるもので、力石もあります。境内地からは奈良・平安時代の土師器片などが出土しています。

安房堂

正木の川崎地区の堂。嘉永7年(1854)の百八十八ケ所供養碑があります。四国霊場・坂東・秩父の名観音霊場を巡礼した記念の塔です。そのほか出羽三山碑や明治31年(1989)の線刻六地蔵碑、寺子屋の師匠だった徳誉教善の筆子塚… 続きを読む 安房堂

金比羅神社(こんぴらじんじゃ)【大芝】

那古の浜集落である大芝の漁業従事者が四国の金比羅様を祀ったものと考えられています。金比羅様は海難救済と豊漁の神として漁業者の信仰する神様です。昭和40年頃までにはこの場所は塚のようになっていて、ウオミヅカ(魚見塚)と呼ば… 続きを読む 金比羅神社(こんぴらじんじゃ)【大芝】

御霊神社(辻)

御霊大権現は疫病神で、疫病なんどの流行を鎮めるために村はずれに祀られることが多かったようです。ここは那古の辻に位置しますが、実は正木の川崎地区の飛び地にあり、川崎の人々の信仰をあつめる神様でした。天保21年(1841)に… 続きを読む 御霊神社(辻)

芝堂(那古)

那古寺の境外仏堂で、芝崎にある寺領区域の墓地です。墓石の屋号を見るといかにも街場らしく、全国各地から商人が集まったようで、「駿河屋・上総屋・大津屋・淡路屋・越後屋・鹿島屋・大和屋」などが見え、その他にも「伽羅屋・米屋・飴… 続きを読む 芝堂(那古)