明治時代の布良は、マグロの延縄漁(はえなわりょう)が盛んでした。冬の荒波の中、厳しい自然と闘いながら、漁師の人たちがお互いを励ましあうために歌ったのが「安房節」です。
マグロの延縄漁は、江戸時代に紀州から移り住んだ漁民によって伝えられました。明治の中頃には「ヤンノー船」という大型のマグロ船がつくられ、真冬に南下してくるマグロを追って、遠く伊豆稲取沖や銚子沖まで漁場が広げられました。
明治41年には、クロマグロだけで約61トンの水揚げがあったと記録にあります。大人がまたいでも足が届かないほどの大物があったと伝えられています。
しかし、マグロの大漁で漁港が賑わう一方で、冬場に出漁するマグロ漁は、危険も多く、冬の荒海の中で遭難事故が相次ぎました。明治35年から明治44年の10年間で212人という多くの漁師が命を落としてしまいました。マグロ漁もその後は不漁が続き、漁港にはマグロの姿も少なくなってしまいました。